45歳で移住と転職。思い切って決断した先で、新たな価値観と喜びに出会った
近江八幡市 団体職員 赤澤 誉四郎さん
- 移住エリア
- 神奈川県→滋賀県近江八幡市
- 移住年
- 2020年
東京の小さな編集プロダクションで働いていた赤澤さんは、勤続20年を機に退職。新たな一歩を踏み出そうと、ふるさと回帰支援センターにある滋賀県の相談窓口に訪れました。仕事探しに少し時間はかかりましたが、福祉とアートが結びつく「ここにしかない仕事」と新たな価値観にたどり着きました。
目次
「滋賀ってどうだろう?」からはじまった移住の第一歩
東京ではプロスポーツの取材や広報、雑誌の編集などに携わっていたという赤澤さん。華々しい世界の一方、業界特有の人間関係の難しさや勤務時間の不安定さを感じることも多かったそうです。
赤澤さんは奥様と娘さんの3人家族。家族との時間を増やすためにも、勤続20年を区切りにして移住を決断しました。
「妻の実家がある大阪に近い場所がいいなと思ったんです。自然が多くてゆっくり時間が流れていそうな場所。歴史好きなこともあって、『滋賀ってどうだろう?』みたいなところからはじまりました」
いざ移住しようと決めても、最初の一歩がわかりません。ネットで調べていくうちに、有楽町に「ふるさと回帰支援センター」という移住相談窓口があることを知りました。そこにある滋賀県のブースで相談を重ねるうちに、移住のイメージが膨らんでいったそうです。
「転職先の希望はまったくなかったんです。でもせっかくだから違った人生を楽しみたい、新しいことに挑戦したいという気持ちでした。ふるさと回帰支援センターの中にはハローワークが併設されているんですが、ハローワークに行ったのも初めてで。遠距離で就職先を探す場合、面接の際の現地までの交通費や宿泊費、引越し費用などの補助があることを知りました」
製造業の求人が多い滋賀県。赤澤さんの経験を活かした編集や広報の仕事はなかなか見つからず、滋賀での再就職を諦めかけたこともあったそうです。
そんなある日、社会福祉法人グローが運営する美術館「ボーダレス・アートミュージアム NO-MA(以下、NO-MA)」の広報の求人を見つけました。
“福祉の先進県”滋賀で「ボーダレス」に出会う
近江八幡市の旧市街にある町屋をリノベートした NO-MAは、社会福祉法人が運営する日本でもめずらしい美術館です。「ボーダレス」という言葉には、「障害のある人のアートや、現代美術の作品を分け隔てることなく展示する」というコンセプトが込められています。
「福祉の勉強をしたことはなかったのですが、直接的に誰かの幸せのために働くことができる福祉の仕事は、とても魅力的に感じました。滋賀県には戦後『社会福祉の父』と呼ばれた糸賀一雄先生がいたので、著書『この子らを世の光に』を読んで面接に臨みました」
晴れて社会福祉法人グローの内定が決まった赤澤さん。ふるさと回帰支援センターの滋賀県相談員にも報告したところ、「移住する前に、現地で色んな人と知り合っておくと心強いですよ」とアドバイスをもらいました。そこで紹介された近江八幡の移住体験ツアーに参加し、旧市街から駅まで散策したそうです。
「いざ移住が決まっても不安な気持ちは色々ありました。でもツアーに参加したことでたくさん知り合いも出来て、本当に心強かったです。青空に映える古い町並みを歩きながら、『ここで暮らしたい』と改めて思いましたね」
そして近江八幡に戸建ての家を借り、家族で移住しました。駅から徒歩18分ほど、スーパーやドラッグストアもたくさんあって、「車なしでもまったく生活に支障がない、暮らしやすい町。おいしい料理が食べられる居酒屋もたくさんあります」と滋賀ライフを楽しんでいるそうです。
福祉とアートが結びつく仕事は驚きの連続
移住して半年ほどで新型コロナウイルスの感染が広がり、社会の様子が変化していきました。新たな出会いを楽しみに移住したはずが、人との接触を避ける日々が続きました。しかし、新しい職場での出会いや福祉とアートがミックスした今の仕事は、コロナ禍であることを感じないほど、充実したものだったといいます。
「職場の皆さんが仕事に取り組む姿勢はとても誠実です。その理由が福祉の職場だからなのか、滋賀だからなのかはわかりません。年下の先輩職員からも、毎日刺激をもらっています。福祉とアートが結びつく仕事は想像もしなかったことの連続で、初めて味わうことばかりでした。 NO-MA に展示される作品はどれも刺激的だし、多くの人に知ってもらいたいと思い、広報にも力を入れています」
移住して3年ほど。2023年現在、コロナ禍もようやく収束へと向かっています。業務のなかで、地域と美術館の結びつきを深める地域交流事業の担当になったり、展覧会をサポートする会場ボランティアを担当したりするなど、仕事を通じた滋賀でのつながりも少しずつ増えていきました。
「滋賀で出会う人はfacebookをされている方が多いですね。気がついたら3年間で150人ほど友達が増えていて、びっくりしています」
滋賀でのつながりが広がっていく一方で、移住する前の友人や前職とのつながりもしっかり残っています。Zoomなどコロナ禍で生まれたオンラインを活用してコミュニケーションを取っていると、滋賀にいることを忘れてしまうこともあるそうです。
「どこで暮らしていてもつながりを感じることができる。移住もボーダレスの時代ですね」
滋賀の最大の魅力は、調和のとれた豊かさ。
これからの目標をたずねると、「福祉のことをもっと知りたい」と赤澤さん。
「福祉やアートの勉強、足りないことだらけです。この歳になって、学ぶべきことがたくさんあるということは、幸せなことだと思います。障害の有無にかかわらず誰もがアートの鑑賞を楽しめたり、また地域で孤独を感じたりすることがないように、少しでも力になりたい。プロスポーツの世界からアートの世界への転身なんて、なかなかできない経験です。支えてくれている家族に感謝しながら、新しい価値観をどんどん吸収していきたいと思います」
赤澤さんは、SNSなどを通じて滋賀の魅力発信にも積極的に取り組んでいます。コロナが収束に向かい、滋賀を訪れる友人も増えているそうです。
「滋賀の人は地元に対して『何もない』と謙遜する人が多いのですがそんなことはなく、本当に魅力的なコンテンツがたくさんあると思います。近江八幡だけでも、1日では案内しきれません。本当に見てもらいたいのは琵琶湖にかかる虹だったり、西の湖で見る夕日だったり。車を運転していても、息を飲むような美しい光景があるんです。沖島で過ごすゆったりした時間も大好きです」
仕事やプライベートで悩みがあるときは、すべてを包み込むように広がる琵琶湖を見ると心が癒されるそうです。
「移住したいと思ったら、一度滋賀に来て、琵琶湖の湖岸道路をドライブするといいと思います。移りゆく景色を見ながら、ここに住みたいなと思ったら、きっと水があうはず。滋賀は他の地域から来た人を受け入れる懐の深さがあるように感じます。雄大な琵琶湖のように、調和のとれた豊かさが最大の魅力ですね」
これからも移住ライフを楽しみながら、滋賀と全国を結ぶ懸け橋のような存在になるように滋賀の魅力を伝えていきたいと話してくれました。
近江八幡市 団体職員 赤澤 誉四郎さん / あかざわ よしろう
1973年愛知県生まれ。歴史や文化が好きで、滋賀県に興味をもつ。東京で約20年間、広告媒体系企業で編集の仕事に携わった後、福祉業界へ転職。ボーダレス・アートミュージアム NO-MAを運営する社会福祉法人グローに応募し、近江八幡市へ移住。現在は地域共生部で地元の発信やPRに携わり、仕事はもちろん趣味の寺社巡りで御朱印を集めるなど、充実した日々を送る。
■Webサイト
ボーダレス・アートミュージアム NO-MA