自分らしい暮らしを求めて。楽しい土地で楽しく暮らす
会社員 大竹 翔三さん
- 移住エリア
- 埼玉県→山口県宇部市
- 移住年
- 2020年
「都会脱出」「この土地が好き」…移住の動機はいろいろだが、飲み屋の魅力で移住した人はまれだろう。
楽しい時間と空間を選んだ結果、大竹翔三さんにとって、移住先が山口県宇部市だった。
「満員電車から逃げたい」
旅行好きで、全国各地を旅行して、夜は飲み屋で過ごす大竹さん。宇部には10年以上前から、何回か訪れていた。
埼玉県春日部市から、東京・豊洲の勤務先まで、満員電車で1時間半。そういう生活から逃げたかった。
候補は、金沢や仙台もあった。
決め手になったのは、宇部で大みそかに飲んでいる時、20歳の女性が初めてそのバーに入ってきたこと。自分でも「初めてのバー」は勇気がいるが、その女性のかっこよさに、「勇気を出して」と後押しされた気分になった。
有楽町のふるさと回帰支援センターには、それ以前に行っていたが、本格的に移住先を探し始めた。山口県の担当者が、親身になってサポートしてくれた。
幸運だったのは、センターでの相談会で、転職先の会社の社長に出会ったこと。この会社は東京、大阪、山口に事業所があり、大竹さんの希望にぴったりだった。住まいも、飲み仲間が紹介してくれた不動産屋で、条件に合った物件が見つかった。しかも移住者向けの家賃補助制度も活用できた。
移住先は、山口宇部空港から車で約10分、飲み屋街からは歩いて帰れる。2ヶ月に1度くらい東京出張があるが、とても便利だ。
「昼前に宇部を出て、午後は都内のクライアント先で仕事をして、1泊して帰るとか、あるいは実家に行くとかで、距離はほとんど感じない」という。コロナ禍が始まった2020年に、転職も決まって宇部に移住した。
人間関係……ちょうどいい距離感
「とにかく、空気がいい。過密を感じないのが素敵だ」と大竹さん。
移住後の生活にマイナスは感じないという。さすがに趣味の楽器や洋服は地方都市では品揃えがないので、東京に出張した時に買っている。「田舎は物価が安いと言われるけれど、外食なんかは意外に高い」という。またネット通販の品物が届くのが、都会より1日遅れるという。
ほぼ毎日、飲みに行く。行きつけのバーやお気に入りのごはん屋も徒歩圏内。9時ごろから、午前2時や3時まで飲むこともある。飲み屋では顔なじみもいれば、初めての人に出会うことも。カホンというペルー発祥の箱型の打楽器を演奏するのが趣味で、求められて人前で演奏することもある。
田舎への移住で、大きな比重を占めるのが人間関係だ。都会では、相手の領域に踏み込まないのが礼儀だが、地方は親切心からズケズケと相手の領域に踏み込んでくることも。
大竹さんは、「宇部にはほどよい人間同士の距離感がある」という。人口16万人弱、山口県では下関市、山口市に続く第3位の中都市。「都会でもなく、田舎でもない感じが、自分には心地いい」という。
飲んでいると、会話の中で、友達同士がつながっていることがわかることがある。「それが面白い。地方ならではだと思う」とか。
仕事はIT関係。テレワークが主体で、時々事務所、そしてクライアント訪問というスタイルだ。インターネットでビデオ会議が気軽にできるので、どこにいても仕事ができる。「気晴らしに秋吉台とか、県内の観光地にドライブすることもあるが、都会が恋しくて政令指定都市の広島や福岡に行く気持ちはない」という。
「人間、どこに住んでもいいと思う」
大竹さんには、忘れられない経験がある。2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、大竹さんは、東京・三田の慶應義塾大学にいた。交通機関が途絶し、春日部の自宅まで、普通なら電車で1時間強だが、1昼夜、45キロの道を歩いて帰った。想像もしなかった事態の中で、「人生、明日何があるかわからない」と痛切に感じた。
移住支援では、招く側の自治体は永住を期待するが、大竹さんはそれとは違う考えだ。宇部を選んだ理由の一つが、「バー文化の充実」。お酒、特にウィスキーをこよなく愛する大竹さんにとって、これは必須だ。
「もっといいところに惚れたら、そこに行くかもしれない」という。一種の風来坊だ。
「人間、どこに住んでもいいと思う。自分らしい暮らしができれば」
大学を卒業して就職し、サラリーマンとして生活する。一方で、自分の好きな趣味や人間関係がある。そのクロスポイントがたまたま宇部だったというわけだ。結婚し、家族ができれば考えが変わるかもしれないが、独身ビジネスマンのライフスタイルの一つの典型に見える。
(※このインタビューはふるさと回帰支援センター発行の情報誌「100万人のふるさと」2024初秋号掲載の内容をWEB用に一部再構成したものです)
会社員 大竹 翔三さん / おおたけ しょうぞう
IT関係の仕事に従事。2020年7月、山口県宇部市へ単身移住。