宮沢賢治好きが高じて花巻市に移住〜イーハトーブの水先案内人として生きる〜
「宮沢賢治記念館」事務員 塩野 夕子さん
- 移住エリア
- 埼玉県→岩手県花巻市
- 移住年
- 2018年
読書好きの塩野さんは、ある日「銀河鉄道の夜」のプラネタリウムに心を奪われ、宮沢賢治の作品を読み始めました。この出会いが、塩野さんの人生に大きな転機をもたらすことになります。
目次
黒歴史からの脱出、転機はプラネタリウム
埼玉県上尾市出身の塩野夕子さんは、小さな頃から「自分はあまり要領の良いタイプではない」という自覚があったそうです。専門学校を卒業後、仕事に就いてからも失敗を重ねてばかり。「人生に絶望していた」といいます。そんな「黒歴史時代」唯一の慰めが、図書館で本を読むことでした。
ある日、埼玉県小川町のプラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を観賞。「なんて美しいの!続きが見たい」と宮沢賢治の原作を読み始めます。これがその後の人生を大きく変える出会いになるとは、当時は知る由もありませんでした。
本が借りられないから引っ越そう
30代になった塩野さんは、自分の殻を破ろうと賢治のふるさと岩手県花巻市に旅に出ます。生まれて初めての泊まりがけの一人旅。賢治作品ゆかりの地を歩き回りました。賢治関連本の蔵書数日本一を誇る花巻市立図書館は宝の山でしたが、埼玉県民の塩野さんには借りる資格がありませんでした。「もっと呼吸をするように賢治の世界観に親しみ、花巻の人とも交流したい」と思い、「移住」という言葉が頭に浮かびました。
念願かなって、花巻市の地域おこし協力隊に採用が決まり、2018年9月に移住。10月から花巻市の魅力を発信するウェブサイト「まきまき花巻」のディレクターとして働くことに。何度か訪れたことはあるものの、初めて住む街で、取材や原稿執筆、編集など初めての経験ばかり。しかも3年の任期中にコロナ禍までやってくる不運に見舞われます。
色々な人に助けられながら「花巻が大好き」という気持ちだけを支えに頑張り、想定外の冬の寒さなどもありましたが、精一杯生きる毎日は希望に満ちていました。
交流拠点を作りたい
自分が賢治の作品に触れて楽しむだけでは飽き足らず、「賢治ファンと交流したい」と自宅を開放して「拠点づくりをしよう」と思い立ちます。しかし、当時住んでいた家は一部屋。新たな家を探し始めますが、不特定多数が出入りすることができる家は簡単には見つかりませんでした。
ここでも運命の女神が塩野さんに微笑みます。「早池峰(はやちね)と賢治の展示館」の浅沼利一郎館長が知人を紹介してくれたのです。家主さんに、移住した経緯や交流拠点を作りたい、と必死に訴え、空き家を借りることに成功。こうして2020年11月、念願の「賢治文庫」が誕生します。
今後も花巻で、賢治関連の仕事を続けたい
塩野さんは現在、花巻に来て最初に訪れた宮沢賢治記念館の事務員として働いています。「まきまき花巻」の編集の仕事もアルバイトとして続けていますし、「賢治文庫」は曲折を経て「早池峰と賢治の展示館」の2階に移設。文庫管理の仕事も請け負っています。
2024年春には岩手めんこいテレビで「春と修羅」刊行100年などについて話しました。4度目のテレビ出演でした。ラジオや岩手日報や岩手日日など地元紙にも登場しています。一方で、賢治や花巻の魅力についてXやnoteで自ら発信を続けています。stnad.fmでも「賢治文庫ラジオ」という番組を持っています。これまでの暮らし方をまとめた『宮沢賢治を愉しむ花巻暮らし』も刊行しました。
塩野さんは縁もゆかりもない土地で、日々奮闘してきました。
今後は、賢治作品ゆかりの場所を歩くイベントや作品の輪読会など、やりたいことは次々と出てきます。埼玉で叱られながら販売員をしていた塩野さんは今、花巻市に移住してイーハトーブ(※)の水先案内人のように生きています。
イーハトーブ…宮沢賢治による造語。心象風景の理想郷で、岩手県がモチーフだと言われている。
(※このインタビューはふるさと回帰支援センター発行の情報誌「100万人のふるさと」2024初夏号掲載の内容をWEB用に一部再構成したものです)
「宮沢賢治記念館」事務員 塩野 夕子さん / しおの ゆうこ
東京と埼玉で販売員として従事。プラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を鑑賞したことをきっかけに、宮沢賢治の作品に関心を持つ。花巻市への旅行を経て、2018年に同市地域おこし協力隊として着任。2020年11月には「賢治文庫」をオープンし、全国の宮沢賢治ファンが訪れる拠点をつくる。
現在は「宮沢賢治記念館」事務員のかたわら、Webメディア「まきまき花巻」の編集も行うなど、精力的に活動している。