移住は結婚に次ぐ人生の転機。佐賀に住む東京の会社員
会社員 石川 能さん
- 移住エリア
- 東京都→佐賀県佐賀市
- 移住年
- 2021年
コロナ禍を機に佐賀市に一家で移住した石川さんは、仕事を続けながら新しい生活を始めました。 移住によって「大きく変わったこと」、そして「変わらなかったこと」とは?
目次
リモート勤務のまま東京から佐賀市へ移住
コロナ禍の2021年5月。東京都目黒区に住む石川能さんは、東京・銀座にある広告制作会社に籍を置いたまま、家族5人で妻の実家のある佐賀市に移住しました。
石川さんの勤務先は、コロナでリモートワークを導入。2023年12月には小さなオフィスに移転したため全社員が出社したら、座る場所が足りないのだそうです。その後、最低月に2回で4日以上出社すればいいというルールや交通費の規定も改まりました。佐賀は交通のアクセスも良く、リモート会議で「じゃ、これから集まりましょう」となった時、東京のオフィスに鎌倉に住む人より先に着いたんです(笑)。
移住で一変した生活時間
石川さんは京都府京田辺市出身で、大学卒業まで京都で過ごしました。
東京の広告制作会社に就職し、テレビCM作りに携わります。広告電通賞テレビ生活用品部門最優秀賞、カンヌライオンズなど受賞歴も多数。ただし、仕事が深夜に及ぶことなど当たり前で、家に帰れないことも多々ありました。
それが移住によって一変します。子供と過ごす時間が「5倍くらい」に増えたといいます。一番下の子が今春から小学校生に、長男は5年生、長女は3年生になりました。子供が親と遊んで欲しがる年代という意味では、「ゴールタイムの中での移住でした」と石川さんは話します。
妻が老舗旅館の代表に
そんな石川家の移住2年目に大きな転機が訪れます。
妻の実家は、佐賀市中心部で1889年創業の老舗旅館を営んでいます。その社長を務めていた義父が急逝、妻が代表に就任することになったのです。外資系企業でリモートワークをしていた妻は一転、全ての責任を背負う立場に。
家事の比重も増えましたが、東京にいた頃から家事を分担していた石川さんにとって抵抗はありませんでした。「東京では近隣の家に気をつかっていましたが、佐賀では子供に対する苦情などは一度もなく、みんな子供に優しい」。他所の子にも目配りをしてくれるし、地域で子育てをする感覚があるそうです。
また、佐賀にはサッカーJ1リーグのサガン鳥栖とバスケットボールB1リーグの佐賀バルーナーズがあります。長男・長女はそれぞれプロクラブが運営するスクールに入っているほか、陸上や飛び込みにも通っています。今秋、国民スポーツ大会(旧国体)が開かれるため、「環境が整っていて佐賀は燃えています」。
移住は結婚に次ぐ人生の転機
佐賀での暮らしは「満足度が高くマイナスがひとつも思い当たらない。蚊が多いくらいかな」と語ります。
キャリアの全てをかけて取り組んできた仕事は続けられているし、家族と過ごす時間は大幅に増えました。「人々が子供に寛大で、社会で育むものという雰囲気があります」。
休日には広大な公園にじゃぶじゃぶ池。思いっきり体を動かせるスポーツ三昧の毎日。自然が豊かで、物価も安くて食材も豊富。佐賀暮らしは「宝物を手に入れた」気分だといいます。
「佐賀には何もない」という地元の人もいますが、東京で暮らしてきたからこそ、人と競わない佐賀での暮らしの価値が分かるといいます。情報発信に熱心でない地元の人に代わって、自分なら発信の役に立てるし、経験も還元していきたいと考えています。
海外からの旅行者も来日が2度目3度目という層を取り込めば将来性があると感じています。東京の真似ではなく、佐賀の自然や景色、そこから生まれる食文化、陶磁器や遺跡などを伝えることができれば、伸び代しかないと感じています。
「移住は、結婚に次ぐ人生の転機でした。いずれ、妻と一緒に旅館を通じて地域全体を盛り上げていけたら」と微笑みました。
(※このインタビューはふるさと回帰支援センター発行の情報誌「100万人のふるさと」2024初夏号掲載の内容をWEB用に一部再構成したものです)
会社員 石川 能さん / いしかわ のう
京都府出身。大学卒業後、東京の広告制作会社に就職。2021年、妻の実家のある佐賀県佐賀市に家族5人で移住。移住後も会社は変わらず、現在はテレワーク勤務。