目標は全日本ラリー選手権優勝!この土地だから仕事もラリーも頑張れる
ラリードライバー 洪 銘蔚さん
- 移住エリア
- 茨城県→愛知県内→愛知県豊田市下山地区
- 移住年
- 2022年
名古屋市から車で約1時間。なだらかな線を描く山々に囲まれた愛知県豊田市の下山地区は、澄んだ空気と、青空と緑のコントラストが美しく、川のせせらぎが耳に心地よく届く里山です。素朴な味の五平餅も有名なこの地域の山々に魅せられて移住したのは、台湾出身のラリードライバー、洪銘蔚(ホン・ミンウィ)さん。「毎朝、起きてすぐカーテンを開くと山が目の前にあって、今日もきれいだな、と感じます。その瞬間が幸せです」と自然に囲まれた生活を満喫しています。
女性としてラリードライバーに、外国出身者として日本の田舎に移住、と一見実現が難しそうなことにも挑戦し、実現してきた努力家の洪さん。地元では愛称の「ミンミン」と呼ばれ、地域に親しまれている洪さんの半生をたどりながら、移住成功のポイントを伺いました。
目次
子どものころからの夢だったラリードライバー
台湾の台中市で、三姉妹の次女として育った洪さん。ラリーとの出会いは、小学生の頃、親に内緒で見ていた夜のテレビ番組でした。その迫力・スピード感に魅せられ、「いつかラリードライバーになりたい」という夢を描くようになります。ただ、両親には「女の子には危険だからやめておきなさい」と言われており、その夢は胸に秘めたままでした。
台湾の大学院で食品栄養分野を専攻し、修士号を取得。博士課程のため、筑波大学に留学します。夢だったラリードライバーへの道が開けたのは、留学2年目で同大学の自動車部に入部してから。JAF主催の女性モータードライバー育成プロジェクトに合格し、2年後には耐久レースにデビュー。その翌年にはラリーデビューも果たします。
ラリーとレースは同じモータースポーツですが、複数の車が競ってサーキットを周回するレースに対し、ラリーは山道など一般道を一台ずつ走って走行タイムを競います。様々な路面や状況を判断し、制する力が求められるラリー。
「朝はきれいだった路面が、次に走る時は一変し、砂埃で見えなくなっていたりします。実際に走ってみないとわからないからこそ、ラリーは面白い。人生と同じですね」
と魅力を語ります。
ストレスフルな都会の生活から山間部へ。移住の決め手は喫茶店
在学中は勉強に加え、ラリードライバーとしての練習、アルバイト、スポンサー探しなど寝る暇もなく忙しかった洪さん。博士号を取得後は愛知県内の研究所に就職しましたが、仕事とレースの両立も予想以上に大変で、疲れがたまる日々。ストレスにさらされながら働いていたある日、山に足を踏み入れると癒される自分に気付いたと言います。
「山に入ると、自然に、ゆったりとした気持ちになれる自分がいました。街中に住むのではなく、職場から遠くても癒される環境が自分には必要だと分かりました」
と、山間部への移住を決意します。
山の近くの一軒家を夢見て、ネットで物件を探し始めた洪さん。予算や広さの希望に合うものはなかなか見つからず、半年後に出会ったのが、下山地区にあったリフォーム済みの一軒家でした。「縁側があることが譲れないポイントでした」と振り返ります。
物件を下見に訪れた時、「地元の様子がわかるかも」と足を踏み入れたのが地元の喫茶店でした。ショーウィンドウに和菓子やケーキが並び、ゆったりとした時間が流れる店内。誰もが急がず、楽しそうにおしゃべりをする様子に安らぎを感じました。会計の時、レジに立つスタッフの女性に、「ここに引っ越すことを考えています。雰囲気を教えてください」と勇気を出して尋ねます。女性は初対面の洪さんに、年に1度、地域の草刈りがあることを始め、行事やお祭りのことなどを教えてくれました。
「自然にありのままの生活の様子を聞くことができました。絶対に来てね、と強く勧誘されたら迷ったかもしれないけれど、そんなこともなかったから、逆にこの場所は信頼できるなと思いました」
と当時を思い出します。ちょうど2022年から「FIA世界ラリー選手権」が豊田市を始めとする愛知、岐阜の両県で開催されることとなり、下山地区も会場の一つとしてラリーを盛り上げていこうという機運が高まっていたことも移住を後押しします。洪さんは物件を購入し、飼い猫と一緒に引っ越しました。
移住後は、毎朝、カーテンを開き、目の前にある山々を見て、幸せを感じています。都会の生活では体調を崩すことも多かったそうですが、移住後は体調も良くなったと言います。平日は一時間半かけて愛車を運転して職場に通勤、4月から11月のラリーシーズン中の週末は中部・近畿地方のラリーに参戦する生活を続けています。
これから移住を考える人へのメッセージ -外国人移住者として-
「私のように、外国から日本に移住したいと思う人はきっと多いと思います」と話す洪さん。ただ、知らない土地への移住に不安はつきもの。移住をスムーズにするポイントとして「自分の国の文化との差を気にするのではなく、移住先の地域や人々と一体になるよう、自分から歩み寄る姿勢が必要です。その姿勢さえ持ち続けていれば必ず、周りの人々が優しく接してくれるはずです」
と教えてくれました。
また日本国内からの移住を考える人には、「スーパーに行くにも30分かかるし、決して田舎は便利ではないです。それでも、山のゆったりした時間、人々の温かさは、暮らしの不便さを超えます」と力を込めます。
洪さんは、かつて、東京の街中で一度、熱中症のような症状が出て、クラクラして座り込んでしまったことがあります。20分ほど動けませんでしたが、誰にも声をかけてもらえず、孤独を感じたそうです。
「助けてもらいたい時に助けてもらえない悲しさでいっぱいになりました。でも、この下山地区なら、必ず誰かが声をかけてくれる安心感があります」
笑顔で話す様子からは、出身地でなくても地元に溶け込み、便利さよりも人とのつながりを大切にする生き方が感じられました。
「人生の長さは決められないけれど、広さは決められる」-目標は全日本ラリー選手権で優勝し、地元に恩返しを-
困難な道でもあきらめずに挑戦を続け、道を切り開いてきた洪さん。その生き方を貫くのは「人生の長さは決められないが、広さは決められる」という信念です。
ラリードライバーとしてより強くなれるよう、日々のトレーニングは怠りません。熱中症でリタイア、クラッシュしてしまったラリーの後でも、決してやめようと思わず、真夏に長袖・長ズボン・帽子・マスクのフル装備で暖房をかけて暑さに強い体を作るようにしたそうです。
「もう無理だと思うこともありますが、でもここで諦めたら悔しい、という気持ちがあって、続けています」
強い意志を支えているのは、移住を受け入れてくれた下山地区への恩返しの気持ちです。初めての地元でのラリーでは、近くに住む80代のおじいさんとおばあさんが山の中まで応援に駆けつけてくれ、洪さんの走る姿を見ると、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでくれたと言います。
「その姿を見た時は涙が出るほど嬉しかったです。私が頑張れるのは、地元の人たちの暖かい心があるから。練習を重ねて、さらにランクが上のクラスで上位入賞し、いつかは全日本ラリー選手権で優勝したいです」
と目標を見据えます。
移住前に最初に訪れた喫茶店は、今では洪さんの馴染みのお店になりました。壁には洪さんの応援グッズが飾られ、いつでもスタッフが温かく迎えてくれます。
「下山地区は人間の温かさが感じられる場所」と地元への愛を語る洪さん。緑が映える山と地元の応援を背に愛車のハンドルを握り、今日も爽快に地区を駆け抜けています。
■関連リンク
ラリードライバー 洪 銘蔚さん / ホン・ミンウィ
台湾生まれ。台湾の大学院を卒業後、博士課程進学のため筑波大学に留学。6年かけて博士号を取得(バイオ専攻)。在学中に自動車部に入部したことをきっかけに、幼少期からの夢だったラリードライバーに。
愛知県内の研究所に就職後、2022年に同県豊田市下山地区に移住。平日は勤務、春から秋のシーズン中の週末はラリードライバーとして、中部・近畿を中心に参戦する生活を送る。