潮風を受けて育ったミネラルたっぷりの有機農産物を食卓へ。気候を活かした有機農業を南知多町で実践
農園「慶人の自然農園株式会社」代表取締役 綱島 慶人さん
- 移住エリア
- 三重県→愛知県南知多町
- 移住年
- 2017年
三河湾を臨む小高い丘に広がる大根畑。潮風に当たりミネラルがたっぷりな大根は有機栽培農法で作られたものです。丹精込めて育てているのは、農園「慶人の自然農園株式会社」代表取締役の綱島慶人さん。中学・高校は両親の勧めで単身、フランスへ飛び、現地の日本人学校を卒業しました。帰国してからは入学した大学を2年で中退し、フランスで身近に感じていた有機農業を日本でも広めたいと農業への取り組みを一からスタート。有機農業に挑戦できる気候と土地があった南知多町に移住して就農したという経歴を持っています。
住んでいる南知多町は名古屋から約60キロ離れていますが、普段の仕事は南知多町がメイン、遊びにいきたい時は車で約1時間かけて都市部の名古屋へ、という生活の仕方が気に入っていると言う綱島さん。移住までの道のりをお聞きしました。
目次
小学校を卒業してすぐ、フランスの日本人学校へ。農業大国で出会った有機農業
名古屋市で3人兄弟の末っ子として生まれた綱島さん。両親の勧めで、小学校卒業後にフランス西部のトゥールという街にある日本人学校に進学することになります。ロワール川が流れ、古い城も残る街での寮生活。中学・高校合わせて100人ほどの学校で、綱島さんと同じように小学校卒業後に来ている子も多かったので、疎外感を感じることはなかったと言いますが、「寂しくて、いつも日本に帰りたかったですね」と苦笑します。
10代で親元を離れ、外国で生活した時間は、早くから綱島さんの中に自立する心、グローバルな視点を育たせました。
現地での生活で身近に感じていたのが、農業大国・フランスでの有機農業の在り方だったそうです。街の人は、どんな農薬を使い、どこで誰が育てた野菜なのかへの関心が高く、公立学校でも学食のメニューが有機農産物を使用したものに変わったり、スーパーには有機農産物のコーナーが設置されたりと、日本とは違う「食」への関心があったそうです。多感な時期を過ごしたフランスでの有機農業との出会いが、将来の仕事につながっていきます。
高校を卒業後は帰国し、大学に進学します。東京都内に暮らしながら始まったキャンパスライフ。ただ、漠然と大学生活を過ごす中で、卒業後、周りと同じように就職試験を受けて入社し、サラリーマンになることへの不安があったと言います。
「このまま就職していいのかなと疑問を感じてしまって。人と違うことがしたかったんです」
その時、心に浮かんだのが、フランスで身近に感じていた有機農業でした。「農業なら、自分に合っているのでは」と思い、将来の仕事として就農を志します。中でも取り組みたいと思ったのが有機農業。日本ではまだまだ市場の発展は未知数の状態でしたが、ここから綱島さんの人生の新たな一歩が始まります。
決断してからの行動は早く、大学を2年で中退。当時、両親は名古屋から三重県菰野町に引っ越していたため、実家に住みながら、近くの農家で収穫など農作業の手伝いをします。その後、三重県農業大学校に1年間通い、さらに東京・品川にある日本農業経営大学校で2年間、農業経営について学びます。卒業後は、ビジネスとしての有機農業の可能性を模索するために、再度、渡仏。1年間、カボチャなど野菜を栽培する農家などで働きながら、消費者と有機農家のつながりを学び、帰国しました。
有機農業ができる条件から見つけた移住先
帰国後、一から有機農業を始めるにあたり、譲れない条件を決めました。それは、灌漑施設(※)が整い、イノシシやシカの獣害が少なく、夏は涼しく、冬は氷点下にならない気候で、一定の面積が確保できる場所であること。条件に合う場所を実家近くの東海地方で探し始めました。
1~2カ月探す中で、綱島さんの求める条件にぴったり合ったのが、温暖な気候の知多半島でした。中でも南知多町は、役場の人が農地を提案してくれたり、親身に相談にのってくれたりして、縁があったそうです。綱島さんは、南知多町での就農を決意し、2017年に移住しました。
灌漑(かんがい)施設…主に農地に水を供給するために作られた施設の総称
最初は30アールの耕作放棄地を借り、カボチャや大根などの露地栽培から有機農業をスタート。その後、1~2年は畑に適した場所を探し、町内を走り回りました。隣地との距離が一定程度保て、周りにも迷惑をかけないなど、条件に当てはまる畑を探しては借り、開墾する日々が続きました。
有機農業に励む一方で、自身の住まいについては、「農地の条件が最優先で、住まいについては特にこだわりはなかったんですよ」と綱島さんは話します。住む場所を空き家バンクで探したこともありましたが、最終的には不動産屋さんで見つけた、農園予定地から1~2分の場所にある賃貸アパートを借りて住み始めました。
知らない場所で生活をスタートするにあたっては、最初はやはり、不安もあったそうです。しかし、「ここは町の人が過度に干渉してこないのも住みやすい理由です。もちろんコミュニティに入ろうと思えば入らせてもらえますが、入らないからといって暮らしにくくなることもありません。本当に良い距離間で受け入れてもらっていると思います」と話します。
独身で、自炊するよりも定食屋さんに行くことが多いそうですが、「師崎港が近いので、とにかく魚がおいしいです。大アサリや生シラスなど食事で季節を感じられますね」と声を弾ませます。
プライベートでの距離感は保ちつつ、借りている畑の水道の蛇口にトラクターをぶつけて壊してしまった時は、水道屋さんを呼んで助けてくれたり、畑の面積を大きくしたいと相談すると、近くの良い場所を紹介してくれたりと、仕事の面では地元の人々とも良い関係を築けているそうです。今では綱島さんの農地は当初の6倍、5ヘクタールに拡大しました。
移住を考える人へのメッセージ
移住を考える人には「やってみなければ分からないこともあるから、やってみたらいいんじゃない、と伝えたいですね」と話す綱島さん。ただ、仕事と住まい、生活に大切な二つのことを一度に変えようとするリスクの大きさには警鐘を鳴らします。
「迷ったら、仕事は変えずに、住まいだけ引っ越すのはどうでしょう。仕事を変えるより引っ越しの方が簡単だと思いますし。特に夜の雰囲気などは実際に住んでみないと分からない所もあります。1年くらい住めば、いろんな面でその土地について知ることができるでしょうし、その時点で仕事を変えたければ住まいの近くに転職すればいいのではないでしょうか」
と教えてくれました。
綱島さんも、住み始めた当初は、夜間、周りのお店がほとんど閉まってしまうことに驚いたと言います。ただ、自宅から名古屋の中心部までは、知多半島道路と南知多道路を使って約1時間。遊ぶ約束がある時は、車を走らせます。そのまま名古屋に宿泊することもありますが、家賃が安い分、ホテル代なども気にならないそうです。「仕事をしている南知多町では緑と海の自然に囲まれ、余暇は都市部の生活もちょうどいい具合に楽しめる、今の生活は自分に合っていると思います」と話します。
ゆっくり育てて、すぐに食べるのが一番おいしい。日本の食卓を豊かにすることが目標
一から始めた有機農業の取り組みも、今では大根とズッキーニを愛知県内のスーパーやチェーン店、工場の給食などに安定して出荷できるようになりました。「その土地にあった作物をゆっくり育てて、収穫したらすぐに食べるのが一番おいしいんです」と力を込めて話す綱島さん。一番おいしい状態ですぐに食べてもらえるよう、出荷先も愛知県内までにしています。
とはいえ、「有機農業先進国のフランスを100とすると、日本での有機農業の歩みは1くらい」だそう。まだまだ日本の家庭の食卓に浸透するまでには時間がかかりそうですが、常に新しい挑戦も忘れません。2025年2月に完成予定のパッキングセンターでは、野菜一つ一つに二次元コードをつけ、種まきや収穫の時期、農薬の量などがスマートフォンをかざせばすぐに出てくる仕組みを作りたいと思っています。
潮風を感じながら、有機農業に取り組みつつ、都市圏にも足を延ばせるこの場所で生きる綱島さんのストーリーはこれからも、続いていきます。
関連リンク
南知多町空き家バンク
農園「慶人の自然農園株式会社」代表取締役 綱島 慶人さん / つなしま よしと
1991年名古屋市生まれ。両親の勧めで中学・高校はフランス西部の日本人学校に通う。帰国後は大学に進学するが、フランスで身近に感じていた有機農業を志して2年で中退。三重県農業大学校や日本農業経営大学校などで学んだ後、再度渡仏し、1年間、有機栽培農家で働く。帰国後に「適地適作」の有機農業ができる場所として南知多町に移住。大根などを県内のスーパーなどに出荷する。