田舎暮らしに憧れ、梨農家を目指す〜システムエンジニアからの転身〜

システムエンジニアと梨園での作業 谷口 浩基さん
- 移住エリア
- 東京都→滋賀県東近江市
- 移住年
- 2018年
「農業をして暮らしたい」。東京でシステムエンジニアをしていた谷口浩基さんは、ふとテレビで見た田舎暮らしの人の映像を見て、「これが未来の自分だ」と思った。
それがきっかけで、土地勘のある滋賀県に移住し、今は自分の梨園を持つのが夢だ。
満員電車に揺られる生活に希望がなかった
谷口浩基さんは、東京でシステムエンジニアをしていた。谷口さんの家は転勤族だった。小学6年生から大学までの間、滋賀県彦根市に住んでいた。地元の立命館大学を卒業した後は、初めは大阪、のちに東京でシステムエンジニアをしていた。
東京では、初めは杉並区で一人暮らし。29歳の時に結婚し、多摩市に移った。しかし多摩市から都心まで長時間満員電車に揺られる生活。「これから家庭を作るぞ」と思うと、そんなサラリーマン生活に希望が持てなかった。
その時、テレビ番組で地方に移住し、農業をやっている人の生活ぶりを見て、「これだ」と思った。「移住するなら、土地勘のある滋賀県」と思い、ふるさと回帰支援センターの滋賀県のコーナーを訪ねて相談した。
「農業をしたい」という谷口さんに、担当者は東近江市で就農支援をしている「NPO法人・愛のまちエコ倶楽部」を紹介してくれた。その法人が支援していたのが梨農家とブドウ農家だった。

梨の実
梨づくりを一から学ぶ
「農業で暮らしていきたい」という夫の言葉に、妻の珠姫さんは、「本気なの?」と驚いたが、自身も愛知県豊田市で育ち、地方で暮らすのには抵抗がなかった。ただ収入が確保できるかどうかが不安だった。浩基さんは、それから半年間、休日ごとに東近江市の梨農家に梨づくりの修業に通った。
「知識も経験もないのに、やっていけるかという不安がいっぱいでした」
作業を一から学んだ。寒い中での作業で慣れないことも多く、辛かったが、仕事を覚える喜びがあった。
難しかったのは、梨の枝を棚にくくる作業だった。頭の上で、細い紐を使って、「男結び」というやり方でくくるのだが、初めの頃は、要領を得なくてモタモタするばかり。1本の木についての作業が4日もかかる始末だった。「これでついていけるのか」と焦りがつのった。一生懸命練習した結果、今は慣れて、1日に2本できるようになった。
梨農家で、「果樹園芸は芸術だ」と言われたのが印象的だった。梨は冬に枝を剪定するのだが、どのように実をつけるかをイメージしながら行う。まるでキャンバスを前にした絵描きのような作業。それに魅入られた。
コンピュータと向き合う無機質な仕事より、生き物を相手にする仕事の方がずっと人間らしいと思った。
隣の八日市市に転居先のアパートも見つかり、移住半年で、長男の耕太郎君が生まれた。

妻の珠姫さんと息子さん
やがては梨園を持って自立したい
実家はサラリーマン。農業とは縁遠かった。だから最初は戸惑うことも多かった。しかしNPO法人の人たちが親切に教えてくれるのが励みになっている。
収入を確保するため、平日はシステムエンジニアの仕事をしているが、週末の作業が楽しくて、それが待ち遠しい。
「通勤ラッシュがない。マイカー通勤で自分の空間が持てるのと、時間が自由なので、子育ても手伝える」と浩基さん。妻の珠姫さんも、子連れで歩いているといろんな人が声をかけてくれるのが嬉しい。家の近くには子育て支援センターもある。
梨は、ポピュラーな幸水、豊水のほかに、秋月、新高などの品種がある。東近江には、「愛東梨」という特産の梨もある。現在は、「愛のまちエコ倶楽部」が管理する2つの梨園で25本の梨の管理を任されている。

梨の実
東近江市では、後継者不足で梨園を手放す人も少なくない。浩基さんの夢は自分の梨園を持つことだ。
「やがては息子も手伝ってくれると思うし、ゆくゆくは梨一本でやっていきたい」と夢が膨らむ。
都会のオフィスから、梨園での農作業――。人生の大転換だが、悔いはない。
「毎日が面白くなった」と浩基さん。幸せいっぱいの農園ライフを満喫している。

作業の様子
(※このインタビューはふるさと回帰支援センター発行の情報誌「100万人のふるさと」2025早春号の内容をWEB用に一部再構成したものです)

システムエンジニアと梨園での作業 谷口 浩基さん / たにぐち ひろき
家族の転勤で小学6年から大学卒業までを滋賀県彦根市で過ごす。大学卒業後、大阪でシステムエンジニアとしてキャリアをスタートし、後に東京へ。2018年に滋賀県東近江市へ移住し、現在はシステムエンジニアの仕事と梨園での作業を兼業。家族は妻と6歳の息子。