父の故郷を自分の「ふるさと」にしたい!東京の島・三宅島で生きる

三宅村地域おこし協力隊 沖山 拓也さん
- 移住エリア
- 東京都23区→東京都三宅村
- 移住年
- 2023年
都心から南へ約180kmの洋上に浮かぶ東京の島、三宅島。噴火で流れ出た溶岩が織りなす火山島のダイナミックな景観や、原生林に生きる200種類以上の野鳥たちなど、独特の世界観を持つこの島に魅了される人は少なくありません。そんな三宅島への移住先を実現したのは、都内出身の沖山拓也さん。「ずっと憧れの存在だった」という三宅島への思いについてうかがいました。
目次
コロナ禍を機に移住を決意。浮かんだのは父の故郷・三宅島
「生まれも育ちも東京の練馬なので、『地元はあるけど、ふるさとと呼べる田舎がない』という気持ちが自分の中でずっとあったんです。それは父が三宅島の出身だということが大きいのかもしれません。小さい時、父に連れられて遊びにいったこともありましたし、父や親戚から島の話をよく聞いていました。いつ頃からか、父にとっての三宅島みたいな場所があったらいいなあって、そんな風に思っている自分がいました」
そう語る沖山さんの心に「移住」の文字が浮かんだのは、就職して3年後のことでした。大学を卒業し、都内の施設で高齢者支援の仕事に就いたものの、入社直前にコロナ禍へ突入。感染リスクに神経を尖らせながら、生活保護や心身障害など相談者の生命と向き合うハードな日々が続きました。
「職業柄、絶対に感染してはいけない立場だったので、気晴らしに飲みにいくこともできなくて、毎日しんどかったですね。このまま都会で働くイメージも持てず、コロナ禍が下火になった頃から仕事を辞めて東京を離れたいと考えるようになりました。
そんなとき、たまたま父から『三宅島にある実家をどうにかできないか』と相談されたんです。実家といってもただの更地なんですが、父にとっては大切な場所。どうにかして活用したいと考えていたみたいです。それを聞いて、だったら自分が何かやってみようかな?と思ったんですよ。同じ時期に地元の友だちで地方移住する人が多かったこともあるし、大学時代に群馬に住んでいて、山や川が見える環境のほうが自分に合っていると気づいたことも大きかったです。
転職を考え始めたときに、三宅島の話が出たのも何かの縁。一度きりの人生だから、やりたいことをやろう!と半分勢いで移住を決めました」
父の故郷といっても家はなく、近しい親戚もすでに島を離れています。沖山さんにとっては、1からのチャレンジ。実家の土地を開拓して事業を興すには準備と資金が必要と考え、募集がかかっていた三宅村の地域おこし協力隊に応募。無事に採用され、2023年10月、三宅島への移住を実現することになりました。

地球の営みを感じる三宅島のダイナミックな景観
引っ込み思案なんて言ってられない!島暮らしは自分で動いてこそ
協力隊としての沖山さんの仕事は、村の移住定住担当として移住希望者のサポートをすること。三宅村は他島に先駆けて移住定住促進事業に力を入れており、村単独イベントとして体験移住ツアーを年数回開催するほか、東京都主催の暮らし体験ツアーの受け入れ、都内での出張移住セミナーや相談会、移住定住フェアなどのイベントへの出席と、年間を通じてさまざまな企画が進行しています。「島暮らしってもっとのんびりしていると思っていたんですが、意外と忙しいですね」と沖山さんは笑います。
それでも、土日はしっかりお休み。都会にはないゆったりした時間と、雄大な自然がすぐそばにある環境がすごく気に入っているとのこと。基本は在宅勤務ですが、村役場の職員が釣りに誘ってくれたり、テニスサークルに入ったりしてアクティブに過ごしているそう。
「自分が動かないと何も始まらないのが島暮らし。東京なら家を出れば店が開いていて、何かしらすることがありますが、島ではできることが限られています。来たばかりの頃は『ヒマだけど、どこへ行けばいいんだろう』と戸惑いましたね。引っ込み思案とか言ってられないですよ、とにかく誘われたら行く!という感じで積極的に動くようになりました。そこが島に来て一番変わったところかもしれないですね」

日本離島センター主催のイベント「アイランダー」にて。都内で移住相談に乗ることも多い(写真右が沖山さん)
足りないところは支え合う。共助の営みに心が震えた
沖山さんにとって何より大きなできごとは「青年団に入ったこと」だと言います。青年団とは、地域の若者による自治組織のこと。三宅島では5つの地区ごとに青年団があり、地域の草刈りから行事の運営、伝統芸能の継承に至るまで、地域の暮らしを支える重要な存在として活動しています。
「保健師をしていた都心部は、自治体独自の制度等が整っていて、困っている人がいたら公的機関や制度で助けるものだと思っていました。でも離島では都会のように制度が行き届かない部分があって、そこを青年団や消防団という共助組織が補っているんですよね。誰かが大変だったら自分たちでなんとかしようという考え方もすごいし、それを時間惜しまずやっているのもすごい。カルチャーショックというか、ただただ感動します」
青年団に参加していると自分も島の一員になれているのかなという実感があり、仕事以外で誰かに喜んでもらえるのは素直に嬉しい、と沖山さん。ひんぱんに飲み会が開かれるなど濃密な人間関係を敬遠する人もいるといいますが、沖山さんにとっては「小さい頃から見て来た父とそっくりなので、自分にとってはいつもの光景(笑)。青年団を通じて仲良くなれることも多いので、そこは父のおかげなのかな」といいます。

アイランダーにて、役場職員、観光協会スタッフと(沖山さんは写真中央)
父と一緒に三宅島でサウナ施設をオープンさせたい
移住して1年半、協力隊としての任期も折り返しとなり、沖山さんは日々の業務をこなしながら将来に向けて準備を始めました。それは、父と一緒にサウナ施設をつくること。「学生時代から全国のサウナ施設をめぐっていたくらいのサウナ好き」という彼にとって、実家の土地活用法で真っ先に浮かんだのがサウナ施設でした。
「30年くらい放置されていた土地なので、雑草が伸び放題のジャングル状態。今は休みの日に開拓して整備を進めているところです。父も仕事の合間に島へ通ってきてくれています。もともと電気工事士で、簡単な大工仕事や設備もできるので、父と一緒に島で働けたらいいなというのが今の目標」
手始めに、今夏にはテントサウナの貸し出しサービスを計画中。需要を見極めながら、任期満了後に起業したいと沖山さん。憧れの島で、大好きなことをなりわいにするまで、あと少し。三宅島が「ふるさと」になる日をめざして、沖山さんの忙しい日々はまだまだ続きそうです。

ふるさと回帰支援センターでの移住セミナー。「移住者だから感じることも、三宅島の魅力もしっかり伝えていきたい」と沖山さん(写真右)
まずは地元のやり方をやってみる
最後に、三宅島へ移住を考えている人にメッセージをいただきました。
「どこの地域でもそうだと思うんですが、『郷に入れば郷に従え』ということを伝えたいです。移住者と地元の人がケンカした、みたいなニュースをよく見ますが、どんなに地域のやり方に反発を感じても、まずはやってみて、仲良くなってから自分のカラーを出すのがいいんじゃないかなと思うんですよね。僕がサウナをつくると言ったときも、最初は『そんなの三宅じゃうまくいかないよ』と村の人に大反対されました。でも、最近では『サウナ流行っているみたいだね、がんばって』と声をかけられるようになりました。まずは仲良くなれるように、自分から働きかけるのは大事かなって思います」

「三宅島は土地がなだらかで断崖が少ないため、釣りスポットにアクセスしやすいのが魅力」と沖山さん

三宅村地域おこし協力隊 沖山 拓也さん / おきやま たくや
1994年生まれ、東京都練馬区出身。群馬県の看護大学を卒業後、都内で保健師として3年間勤務。退職後、2023年10月に地域おこし協力隊として、父の生まれ故郷である三宅島へ移住。移住定住担当として、移住相談や移住体験ツアーのアテンドなどを手がけている。