学童保育に小水力発電。DIYで築く高原町の暮らし
一般社団法人「地球のへそ」代表理事 北原 慎也さん
- 移住エリア
- 東京都→宮崎県高原町
- 移住年
- 2013年
足りないものは自分でつくる。そんな田舎暮らしの醍醐味を満喫しているのが、宮崎県高原町に一家で移住した北原慎也さん。人口約9,000人の小さな町に学童保育クラブを立ち上げ、小水力発電に取り組むなど、自分たちのほしい暮らしをひとつひとつ叶えています。東京での会社員時代から移住に至った経緯やDIY精神あふれる高原町での暮らしぶりについて伺いました。
目次
民家を子どもたちの遊び場に
室内にはハンモック、外にはトランポリンにブランコ。民家とは思えない自由な空間で、遊びに来た子どもたちがあちこちで歓声を上げているのが、2014年に慎也さんが開設した学童保育クラブ「さのっこひろば」です。4児の父である慎也さんは優しいまなざしで子どもたちを見守っています。
「僕が引っ越してきた頃には地域には学童保育がなくて、夏休みになると毎日朝から長女が自宅にずっといる状態。その頃妻は地域おこし協力隊として務めていて共働きだったので、どうしようかって。遠くの地域にある学童保育まで連れていくのも大変でした」と当時について話してくれた慎也さん。
「近所で聞いてみたら他の人も困っていて、だったら自分でやってみようかなって。」
フリーランスの音響エンジニアという職業柄、自宅での勤務が可能だったこともあり、慎也さんは新しく学童保育をつくろうと発起。古い民家を買い2部屋を隔てていた壁を取り払うなど、改修の一部は自身で手がけました。そうして一般社団法人「地球のへそ」を立ち上げて学童保育を開設しました。まさに「自分でできることは自分でやる」というDIYの精神です。
「もともと移住したら野菜を育てたり、エネルギーをつくったり、自給自足をしたいと思っていました。その中で“地域のためにできること”もやりたいことのひとつでした。学童保育を始めて子どもたちから元気をもらえますし、高学年の子たちと卓球をしたり遊んだりすれば、僕自身もいい運動にもなります。」
都会から地方に移住すると、生活環境が大きく変わります。ものやサービスが都会に比べ足りないこともしばしば。そんな時こそ北原さんのようなDIYスタイルは、田舎暮らしを一層豊かで楽しく変えてくれるはずです。
学童保育の次に取り組んだのが、星空のアピールでした。山々に囲まれた高原町には、美しい星空が広がっていました。「こんなにきれいな夜空を放っておくのはもったいない」と慎也さんは夜空の写真撮影を始めました。そして2016年には、撮影した写真や動画が町を紹介するPR動画(https://www.youtube.com/watch?v=1d55WcaoYoU)の一部に使われました。いまは星空観望会などのイベントを開催するために、「星のソムリエ」の資格取得を目指しています。
生活を自分たちの手でつくるやりがい
慎也さんは小学校のPTA会長や祭りの運営といった地域の一員としての役割も担っています。「高原町に来てからの生活はとても恵まれています。想像していた以上に忙しいです。当初は『てげてげ』な暮らしがしたかったはずなんですけど」と言いながら慎也さんは楽しそうに笑います。
宮崎の方言で「ほどよい、適度な」を意味する「てげてげ」な生活ではありませんでしたが、高原町での日々に慎也さんが感じているのは、都内で過ごした6年間の会社員時代とは違ったやりがいです。
以前は東京の設計・施工管理の会社で働いていた慎也さん。建設現場で働くことが多く、毎日大量に出るがれきやゴミを目の当たりにしたことで、移住を考えるようになりました。
「工事現場から出るゴミの量があまりに多くて。こうした暮らしは人間の営みの本質とは何か違うなと思いました。宮崎にある妻の実家に帰省するたびに、こっちの暮らしの方がいいなと感じるようになり、生活を自分たちの手でつくりたくなりました。」
部署が変わりプログラミングを担当することになった慎也さんは、4年計画での移住を決意。その後計画を進め長女が就学する2013年に東京の会社を退職しました。
「部署移動の時に、プログラムを組めると移住したときに転職しやすいなと考えました。自分で決めた4年の猶予期間で技術をしっかり身につけたことで、社内で他の人にできない仕事を任されるようになっていました。そのおかげで移住したいまでも元の勤め先からの仕事を引き継いでいます。」
移住先を高原町にしたのは偶然でした。奥様の故郷・宮崎県内で候補地を探していた際、泊まったペンションのオーナーから高原町を紹介されました。
「『これからの時代は高原だよ』って。そこからオーナーに地元の人につないでもらってトントン拍子で話が進み、いつの間にか決まっていました。」
高原町は天孫(てんそん)光臨伝説の神話の町として知られ、平野部には田畑、山間部には霧島連峰の第二峰である高千穂峰を望む、自然に囲まれた町です。山の麓から豊富な湧水が溢れ出ています。
家族で地域に溶け込む
移住して奥様の優美さんも地域おこし協力隊として仕事を始めました。仕事の内容は情報発信。高原町内を取材して回り、観光パンフレットをつくるなど地域の方々と積極的に触れ合いました。同じ宮崎県の日向市出身の優美さんでしたが、当初は言葉が分からないという苦労がありました。
「高原町はどちらかというと、文化的に鹿児島に近く、西諸弁(にしもろべん)という方言は全然聞き取れませんでした。けれど、地域おこし協力隊をしていたから、夫よりも早く理解できるようになったし、地元の方々と仲良くなりましたね。取材でいろんな人に接したおかげです。」
移住直後は生活環境の変化や文化的な違いなど、なにかと大変です。他方、交流が深まると地域ぐるみで育ててもらえるのは、小さな町の大きなメリットです。北原一家の子どもたちも例外ではなく、毎日のようにご近所さんのところで遊んでいるそうです。
豊かな湧水で新しい産業づくり
豊かな水資源を活かしたエネルギー自給、小水力発電が慎也さんの次なるDIYです。小水力発電は小川や用水路などを使って水車を回すことで、低コストで発電する仕組み。安定した水量があれば発電量の変動が少ないので、高原町にはうってつけだそうです。
「エネルギーの自給自足を考えたときに自分たちだけではなく、町という単位でもできることがあるんじゃないかと思い、地域の方々と計画に乗り出しました。すでに実施に向けての調査が終わり、2017年度には設置工事を始められます。」
小水力発電の大きなハードルは地元の同意を得ること。慎也さんは地元の方と一緒に準備したことで、計画がスムーズに進みました。
「協力してくれる地元の方が水利権の調整をしてくれたんです。全ての関係者から合意を取り付けていただき、話がすんなりまとまりました。調整がうまくいかなくて話がまとまらない地域が多いんです。僕一人では話を持っていっても絶対にうまくいきませんでした。」
PTAの会長を務めたり、神楽の舞い手として祭りに参加したり。地元に入り込んでいた慎也さんは協力者を得ることができました。地域でなにかをしようとする時は、そうした日頃の積み重ねがものを言います。
「2016年度中に運営会社を設立する予定です。儲けようとは思っていなくて、小水力発電を町の新しい産業のひとつにして、地元の若い人の雇用につなげたいです。ゆくゆくは発電機も自分たちでつくりたいですね!」
足りないものやほしいものは、自分たちで手に入れる。そんな慎也さんの姿勢は周囲にも伝播しています。町内では小水力発電に出資を申し出る酪農家や、待ちきれずに自分で水車をつくった人も出てきたそうです。滔々と流れ出る湧水のごとく、北原さんは小さな町に一筋の新しい流れをつくっています。
一般社団法人「地球のへそ」代表理事 北原 慎也さん / きたはら しんや
神奈川県出身。福岡市内の大学を卒業後、都内の設計・施工管理の会社に就職。6年間の会社員生活を経て2013年に宮崎県高原町にIターンした。
一般社団法人「地球のへそ」を立ち上げ、学童保育クラブ「さのっこひろば」を運営しており、フリーランスの音響エンジニアとしても活動している。
■一般社団法人地球のへそ Webサイト
http://n-earth.or.jp/