海を眺めながら、旅をしているような暮らし
鳥羽市移住コーディネーター プルックサラナン真千代さん
- 移住エリア
- タイ・バンコク→鳥羽市
- 移住年
- 2022年
30年以上の海外生活にピリオドを打ち、日本への帰国と海の見える生活を手に入れた真千代さん。現在、移住コーディネーターとして活躍する真千代さんに、海外から移住した際のエピソードをお話しいただきました。
目次
海外生活30年。コロナ禍での帰国への想い
三重県桑名市で生まれ育った真千代さん。幼いころから海外志向で、大学進学を機に東京へ。そこから糸が切れた凧のように、休みを利用してイギリスへ留学したりヨーロッパひとり旅を楽しんだりしたそうです。
大学卒業から2年後にはアメリカの大学院に3年間留学。帰国後は東京で心理カウンセラーとして勤務し、アメリカ留学時代の友人だった中国系タイ人の方とご結婚し、3年後にはタイに移住しました。
「天候が身体に合わず大変でしたが、無我夢中で暮らしているうちに気が付くと30年の歳月が流れていました」
大都会バンコクは眠らぬ不夜城のまち。刺激的で楽しい反面、ストレスも高く体調も崩れがちだったそうです。多くの友人が日本へ帰国するのを見ているうちに移住への想いが強くなり、さらにコロナ禍が追い風となったこともあり、2021年の夏に日本へ帰ることを決意。真千代さんはタイで、帰国後の移住先を探すことにしました。
突如頭に浮かんだ鳥羽移住。
情報収集はオンラインのみ。物件情報もオンラインで
もともと移住するなら、スコットランドのエディンバラがいいなと思っていたのですが、当時はコロナ禍で大変な状況でしたので、それならばと函館や長崎などの坂と港があるまちを調べましたが、なぜか移住には至りませんでした。
「かと言って、実家のある四日市や故郷の桑名にも行く気はしなくて。途方に暮れていた時、ふと『海のある暮らし』『海の見えるマンション』というキーワードが浮かび、検索してみたんです」
そこには真千代さんが思い描いた美しい風景が映っていました。
「これだ!」と胸がときめいたその場所は、三重県の鳥羽でした。
鳥羽への移住を決めたのはいいけれど、コロナ禍で日本へ下見に飛ぶこともできませんでした。移住への想いが揺らがないようにと、真千代さんは自身のInstagramで、移住への日々を綴っていくことにしました。
「これが良かったんです。鳥羽の方々からコメント、メッセージ、電話までいただいて!準備に拍車がかかりました」
さらに、住むところが決まらないと仕事も決まらないだろうと、真千代さんは気になる物件にメールで問い合わせし続けました。オンラインで内覧ができて、実際に見学するより冷静になったそうです。2月末にはオンラインで契約し、すべての手続きが終わったのはなんと帰国便に乗る2日前でした。
また、その間にも鳥羽の情報を集めるために市役所のホームページを漠然と見ていると、「鳥羽市移住コーディネーター募集」の記事が。ピンとくるものがあり、応募したそうです。こちらも面接もオンラインで受け、採用されたのは3月中旬を超えていました。
「この時期は『帰国狂騒曲』をBGMに綱渡りをしていたような毎日でした」
真千代さんが移住を決意してから8ヶ月のことでした。
念願の海の近くでの生活
30年分の荷物を整理してスーツケース2個にリュックサック1個で帰国。猫を背負って鳥羽市に直行しました。
「とても良いお天気の日でしたね。ベランダから見える、まるでジブリに出てくるような風景や美しい海を見て、『ここに住めるなら何でもしよう!』と思ったのを覚えています。『魔女の宅急便』のキキちゃんの気分でした」
移住して9か月が経った今でもその気持ちは全く変わらないとのこと。通勤時に見える海や島々の景観に息をのみ、新鮮な海鮮、海藻、温暖な気候を利用した野菜、初めてベランダで育てたハーブなど、豊かな食生活と毎日が楽しくて仕方ないそうです。
「観光地として栄えた鳥羽の人々はオープンで親切、おおらかです。移住前からインスタで、そして実際に移住した後も素敵な友人がたくさんできました」
移住コーディネーターとしての仕事は移住相談と空き家バンクを担当しており、市街地だけでなく、山間部や離島など、まさに旅をしながら仕事をしている感覚だそうです。とりわけ離島に行く定期船に乗ると、仕事をしている事さえ一瞬忘れるんだとか。
「何よりもやり甲斐を感じるのは、自分が愛するこの海街の良さを国内外問わず発信できるということですね」
健康診断の数値が、人生で最良に
昔から身体が弱いのがコンプレックスだったと言う真千代さん。バンコクでは1年に最低2回は入院するという体調の悪さ。20年前に太極拳に出会い胃痙攣や腰痛が収まったので、北京留学をし、その後タイで太極拳教室を開けるほど改善されました。しかし、それでも貧血や低血圧、低コレステロール値とすべてが水準以下でした。
鳥羽市に移住してから8か月が経った頃、特定健診の案内がきたので受けてみることに。結果は驚くべきことに人生で最良の数値!血圧もコレステロール値も水準値となり、善玉コレステロール値が優位に立つのも初めてでした。貧血も治っており、お酒好きなので晩酌も欠かさずという生活でしたが肝臓機能値も至って良好。
「お医者さんの親切で丁寧な説明にも感動しました。鳥羽での生活にも慣れてきたので、太極拳も少しずつ再開して、また教室を開くことなども考えています」
移住を決める上で大切なのは、譲れない条件と妥協する条件を決める
最後に、移住を考えている方へのメッセージをうかがいました。
「私にとって移住は『人生の見つめ直し』です。自分の価値観の洗い直しといってもいい気がします。何を大切にしているのか、何が必要なのか、そのためには何を捨てられるのかということですね。50代でどういった生活を求めているか改めて考えてみたのですが、分かったのは『旅』『海・丘・風を日常的に感じられる生活』『図書館が近くにある』『オープンな気風のある町』でした。それらがクリアなら仕事は何でもやろうと思っていました。たとえバスが1時間に1本でも、大手チェーン店のお店がなくても、夜の9時には通りに人がいなくても構いませんでした」
価値観は人によってさまざま。移住前に自分が譲れない条件と妥協できる条件を明らかにしておくことが最も大事だと、真千代さんは語ってくれました。
鳥羽市移住コーディネーター プルックサラナン真千代さん / ぷるっくさらなんまちよ
三重県桑名市出身。30年以上タイで暮らし、日本へ帰国。オンラインでリゾートマンションを購入し、同時期に募集していた「鳥羽市移住コーディネーター」に応募し就職。今後は日本国内だけではなく海外からのUターン移住者が増えると考え、「攻めの移住相談」に取り組んでいる。
■鳥羽の暮らしを綴った真千代さんのInstagram: @tobarianlife