実家の宿を継ぐためUターン。妙高で見つけた新たな出会いとこれから
「サンヴィレッジまちだ」経営補助 町田 涼太さん
- 移住エリア
- ドイツ・東京都→新潟県妙高市
- 移住年
- 2022年
世界有数の豪雪地である新潟県妙高市。特に、幾つものスキー場や温泉が集まる「妙高高原エリア」は、国内外からスキーヤーやボーダーが集まる人気のスノーリゾートです。長年スキー客を受け入れてきたこの地域では、宿泊業を営む家庭も多くあります。そのひとつ「サンヴィレッジまちだ」の長男として生まれ、大自然の中で育ってきたのが、今回紹介する町田涼太さんです。
町田さんは大学進学を機に県外に出てから、地元と都会、海外を行き来し、2022年に本格的にUターン。現在は家業の宿を継ぐため、宿泊業や調理を学んでいます。地元を出て経験したこと、Uターンしてからの生活についてお話を伺いました。
目次
家業への思いと、理想のライフスタイル
宿泊業を営む家に生まれ、小さい頃から日常的に家族以外の人と関わってきた町田さん。多感な時期には、自分の居住空間に家族以外の人がいるというストレスを感じることもあったと言います。
「一方でお客さんに可愛がってもらったり、いろんな世界の話を聞いたりと、人との付き合いの楽しさも感じていました。ぼんやりと、いつかは自分がこの宿の仕事を継ぐのだろうなという意識は持っていたんです」
また、大自然に近い場所で生まれ育ってきた町田さんは、今もスノーボードやサーフィンが大好き。ドイツや東京で暮らした経験もある町田さんは、妙高市の魅力をこう話します。
「ドイツや東京では、山や海も遠くて、趣味を楽しもうと思ってもすぐにできなかったんです。妙高市は山、海、湖、川といった自然へのアクセスが抜群で、自分の趣味を楽しむのにもぴったりな場所だなと再確認しました」
さらに、東京で暮らし働く中で疲弊していた町田さんは、妙高市に戻ってきて心身ともに元気になったと言います。
「人のたくさんいる空間ってエネルギーを吸い取られてしまう感じがして、東京に住んでいるときは窮屈さを感じていました。吸い取られるだけならいいのですが、チャージもできないんですよね。妙高市に帰ってきて、エネルギーが湧いてくるというか、チャージされているなって感じるんです。自然の中で趣味を楽しむのはもちろん、田んぼのあぜ道を通ったり、妙高山を眺めたり、それだけでもすごく気分が晴れます」
人との出会いに導かれ、外の世界へ
「いつかは家業を継ぐ」と考えていた町田さんですが、一方で自分の中にもやりたいことや見たい世界があったと言います。大学では心理学を学び、卒業後は地元・妙高市で教育関係の仕事に従事。自然豊かな環境をベースとした教育の仕事にやりがいを感じていた町田さんですが、その後ひとつの転機が訪れます。
「職場関係の事業で日独交流がありました。そのときにドイツでホームステイをしたんです。ステイ先のおじいちゃんとおばあちゃんが、とてもいい人で。ヨーロッパの暮らしも気に入ってしまって、その場で『来年仕事辞めて来てもいい?』って聞いたんです。そうしたら『いいよ』と言ってくれて、その場でドイツに行くことを決めました」
帰国後は親の反対を押し切って、ワーキングホリデーのビザを取得。翌年にはドイツへ渡りました。
「当時はお金もない、言葉も喋れない、仕事もないという状態。ただ日独交流のときに出会った友達がドイツの各地にいたので、なんとかなるだろうと思っていました。そうしたら、住むところも仕事もとんとん拍子に決まって。決まった仕事というのが日本語学校の先生でした」
行き当たりばったりにも思える町田さんの行動ですが、その先にあったのは前職にも通ずる教育関係の仕事。人との出会いが町田さんを、自身の求めるところへ導いてくれたのでしょう。
「人生のターニングポイントで、今後の道を決める判断材料になっているのは『人間関係』なんだと思います。『この人たちとならいい人間関係を築けそうだな』『この人たちと一緒ならいい体験ができそうだな』そう感じたときに自分は動いていますね」
その根底には、小さい頃から関わってきた宿のお客さんとの思い出が刻まれているのでしょう。
地元で広がる、新たな出会い
町田さんは今、宿の仕事の傍ら趣味のスノーボードやサーフィンを楽しむ毎日を送っています。その中で見つけた新たな出会いもありました。
「地元の友達だけではなく、移住者と友達になることが増えたんです。移住者がオープンしたお店で出会ったり、スキー場でたまたま隣になった人と仲良くなったら実はその人が移住者だったり、地元にいても新しい出会いってあるんだなと思いました。外から来た方は、僕らとは違った視点を持っているので、一緒にいてとても楽しいです」
生まれ育った地元を離れるとき、人は新たな出会いを求めて行くもの。しかし同じように、他の地域からこの地にやってくる移住者もいます。Uターンするということは、元々あったコミュニティに戻るという一面もあります。その一方で、地元を離れている間に加わった新たなコミュニティに出会うという面もあります。町田さんにとって、それは都会や海外に行ったときと同じようなわくわくする出会いだったのでしょう。
母への想いと、これからの目標
今後はまず、調理師学校へ通い、調理の勉強をするとのこと。家業の継承や今後の展望について伺いました。
「まずは母を休ませてあげたいんです。宿の料理は今までずっと母が作っていたので、お客さんがいるときは休むことができなかったんですよね。また、今まで自分が連れてきたお客さんには母の料理を楽しんでもらっていましたが、自分の料理を出してみたいなと思っているんです。母を休ませながら、少しずつ代替わりしていければいいかなと思っています」
今後の宿泊業への思いを前向きに語ってくれた町田さん。
10年間携わってきた教育分野に対しての未練はないのでしょうか。
「ないですね。教育のテイストを宿に生かしていきたいなという気持ちはありますが、具体的にはまだ想像できていません。前職の仲間ともつながっているので、なにか協力できることがあれば関わっていきたいと思っています」
形は変わっても、町田さんが学んできたことは宿の運営やご自身の活動に生かされていくのでしょう。
人と人とのつながりが生まれる場所を作りたい
最後に、U・Iターン移住を考えている方へメッセージをいただきました。
「U・Iターンをされる方って、いろんな事情があると思うんです。妙高市の暮らしが好きで自ら求めて来る人もいれば、結婚を機にとか家族の事情で来るという人もいますよね。そういう人が妙高市の暮らしに楽しみを見出せなくて苦しい思いをするのは、地元住民としてちょっと切ないんです。そういう方たちが集まれる場所としても、この宿を使えたらいいなと思っています。『妙高市の暮らしって楽しい』と思ってくれるきっかけになればいいなと。そういう方がいればうちに遊びに来てください。ぜひつながりましょう!」
どんな人と出会うか、どんな人と共に過ごすかが、その後の人生の豊かさを変えます。そのことを身をもって知っているからこそ、今後は町田さん自身がその出会いを作る人になっていくのでしょう。
U・Iターンをするには、しっかりとした事前準備が必要なのはもちろんですが、直感や人との出会いも1つのキーポイントになります。町田さんの移住ストーリーを読んで興味が湧いた方は、まずは現地へ遊びに行ったり短期滞在したりするのはいかがでしょうか?
引用元はこちら
「サンヴィレッジまちだ」経営補助 町田 涼太さん / まちだ りょうた
1992年新潟県妙高市生まれ。埼玉の大学に進学し、卒業後は妙高市で教育関係の仕事を経験。その後ドイツ、東京都での生活を経て2022年に本格的にUターン。実家の宿「サンヴィレッジまちだ」を継ぐため、現在は家業の手伝いをしながら調理師学校へ通う(2023年4月~)。
スノーボードやサーフィンといった趣味を通して、Iターンした方とのつながりも楽しむ毎日を送る。今後は宿をベースに人と人とのつながりを作りたいと考えている。
■サンヴィレッジまちだ Webサイト
https://www.sunvillage-machida.com/