ウシ年の2021年 近江牛のルーツは滋養薬が起源
「牛」高村光太郎
・牛はのろのろと歩く、牛は野でも山でも川でも自分の行きたいところへはまつすぐに行く。
・牛は急ぐことをしな・牛はひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
・牛は遅れても、先になっても 自分の道を自分で行く(高村幸太郎)
牛年の2021年が幕を開けました。いつの日も、周りにも振り回されず道を行く牛のようにありたいと思います。
滋養薬が起源 近江商人が道開く
さかのぼれば、県内有数の穀倉地帯である湖東平野は、牛馬の放牧地として発展し、牛馬の仲買人がいました。中世には皮革加工にも従事する職人集団が存在し、戦国大名も皮革生産を重視しました。近江牛の始まりは肉ではなく皮の軍需でした。そんな中で皮を武具に使った後、残った肉をどうするか。彦根藩は、幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上するのが慣例で江戸時代、公式に牛の屠殺が唯一認められていた藩でありました。実際には、彦根周辺では昔から密かに食べられ、それが日本各地に広がっていったとも言われています。また、牛肉を原料とする滋養薬として「反本丸」を製造しました。彦根藩は大名らにみそ漬け、干し肉、丸薬など、加工した贈呈品を送っていました。肉の輸送は、明治初期には生きた牛を引いて東海道を歩いたそうです。明治以降に、本格的に食肉として近江牛が広まりました。1954年には東京・日本橋で近江牛の競りが最大に催されました。
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近江牛の特徴は、なんといってもその霜降り度合いの高さ。芳醇な香りとやわらかさをもち、口に入れたとたんに広がるとろけるようなおいしさは、一度食べたら忘れられない味になります。ぜひステーキやすき焼き、しゃぶしゃぶなどで近江牛の旨さを味わっていただきたいです。
(2020年の1戸当たりの頭数は218頭で、北海道の223頭についで全国2位です)